プロフィール

 

 初めまして、笑楽と申します。

 

 

現在、修験者として活動して

おります。

 

ご縁が有り、大和葛城山修験総本庁

にて皆伝頂き、葛城山を離れ

国内にて修験の道を歩んでおります。

 

 

生業

 

今から30年ほど前に

さかのぼりますが、当時、

会社員としてメーカーへ就職、

サービスエンジニアとして、

国内をメインに出張業務

携わっておりました。

 

その後、不動産バブル崩壊を迎え

景気後退の中、衰えを感じない

この業種に先遣の業を感じ、

独立・・・

 

しかし、数年後、

ITバブルの崩壊により、国内での

仕事が激減、

海外での仕事がメインになりました。

 

そして、有る事を切っ掛けに

飲食業、小売・他サービス業と行い

法人成り、現在は、修験者として、

日々、活動を行なっております。

 

 

幼少期からのエピソード

 

子供の頃は野山を駆け回り、

暗くなっても帰らず、よく両親に

叱られておりました。

 

この頃、よく遊んでいた神社での事

ですが、その日も遊び疲れ日も暮れ

そろそろ帰ろうかと友達と話を

していた所

 

「ガサガサ、ガチャガチャ」と言う

音が、何処からともなく聞こえて

きました。

 

どうやら、境内の縁の下から

聞こえて来ます。

 

友人としゃがみこみ、恐る恐る、

中をのぞいてみるとネズミ捕りが

あり、中にドブネズミが掛かって

おりました。

 

 

だが、ビックリしたのは、

その方わらに青白く光る蛇! 

白蛇がいるのです。

 

わたしは、普段からヤマカガシや

シマヘビなど、捕まえるのは、

屁とも思っていませんでしたが

 

この青白く光る白蛇を見た瞬間、

友人と我先にと・・・

神社の階段を一気に駆け下り

一目散に逃げ帰りました。

 

帰宅後、この事を母親に話すと

母親も自身が幼少の頃、同じ、

神社で青白く光る人魂や霊魂を

見た事があり、一目散に逃げ帰ると

言う事が何度もあったそうです。

 

私の場合、人魂や霊魂では

有りませんでしたが・・・

 

他にも面白い体験が度々あります。

 

私は、生き物が大好きで、

それは、ダンゴムシやカエル、

蛇まで捕まえておりました。

 

飛べない雀や

巣から落ちた、飛べない燕を

飼っていた事もあります。

 

ほぼ、自然へ帰すのですが、

中には飼育中に死んでしまう

生き物も居ります。

 

その時は、悲しくて泣き叫んでいた

覚えが有ります。

 

幼稚園の年長になったころから

補助輪無しの自転車に

乗れるようになり行動範囲も

広がり、小学生の低学年の頃には

自転車で40分ほどの森へ、

よく出かけておりました。

 

その森に弁財天を祀った、

弁天池なるものがあり、

その池の周りでクワガタ虫や

カブト虫を採る為に訪れるのですが、

中々、見つかるものでは有りません。

 

その日も目的のクワガタ、カブトは

捕まえる事が出来ず、

友人3人と池の周りで遊んでいると

池の端に突き出たように有る祠の下に

亀を見つけました。

 

この池では、よく遊んでいるのですが

亀を見つけるのは、初めてで友達と

その亀を捕まえようと「そ~っと」

近づいたところ、

 

祠を支える真っ赤な柱の色と

同化するような、それは、真っ赤な

体調50~60㎝は在ろうかと言う

バカでかい、本当に鮮やか赤色をした

ザリガニが触角をゆ~ら、ゆ~ら

揺らし、左のハサミは、右のハサミの

3倍ほど大きく、不気味に水中を

ゆらゆらと歩いております。

 

これもまた、気味が悪くなり、

亀を捕まえるのをやめ、

逃げ帰りました。

 

 

その後、亀もバカでかいザリガニも

見かけませんが、何故かクワガタや

カブトムシが山ほど採れるようになり

 

その夏は、余りにも採れるので、

器用な父親が当時の使えなくなった、

オーディオセットをくり抜き、

これまた、バカでかい、昆虫ケースを

作ってくれました。

 

何せ、多い時には、日にカブト虫、

30匹ほど捕まえて帰りました。

 

それまでは、コクワガタを2~3匹が

いいところだったのに・・・

 

当時、大好きだった生き物に

何故か縁が深まり、

白蛇を見た神社には湧き水の

沸いている小川があるんですが

こちらでは、絶滅危惧種の

モリアオガエルを捕まえたり!

 

 

都内では、とても、珍しい、

ななふし、水カマキリや

アカハラヤモリ、タイコウチ、

モグラまで捕まえた覚えが

有ります。

 

 

話は変わり、当時は、

世間で子供向けの懸賞が増え、

お菓子を中心に食品には、

ほとんど、何かしらのおまけや

懸賞が付いておりました。

 

私も何度か当選した事が有るのですが

当選前には、何故か夢を見ます。

 

たいがい、おもちゃの懸賞でしたので

そのおもちゃで遊んでいる夢を

見るのです。

 

中でも強く印象に残っているのが、

消印の前日に投函した

コカ・コーラの懸賞で、

家庭用テレビゲームなんです。

 

当時、インベーダーゲームが

はやり始めた頃で家庭用の

テレビゲームなんて・・・

 

大人は、

喫茶店でインベーダーゲームを

楽しみ、子供は駄菓子屋で30円の

フーセン割ビデオゲームを

していた時代です。

 

 

家庭用のテレビゲームなんて夢のまた

夢です。

 

その当時、それは、それは、

珍しく中身は、ブロック崩し、テニス、

サッカーと3種類のゲームを

楽しめる訳です。

 

当時、コカ・コーラ製品の王冠を

20~30個台紙に貼り付け、

懸賞に応募できるのですが、

消印ギリギリまで、王冠が揃わず、

最後は駄菓子屋の前のドブに落ちている

王冠を拾った覚えが有ります。

 

ただ、意地になって投函をしましたが

倍率は高いだろうと当選は

諦めておりました。

 

しかし、本当に鮮明な夢を見ることに

なりました。

 

夢の中に出てきたのは、

当時、毎日のように遊んでいた林です。

 

彼と試行錯誤し、テレビにゲームを

接続し、ゲームを始めるのですが

コントローラーのダイヤルが

コカ・コーラの王冠で出来て

いるんです。

 

そんな夢を見てから、また、

しばらく経ち懸賞の事は、

すっかり忘れていました。

 

やんちゃな私は、その頃、

流行っていた遊びで、鉄棒なんですが

ジャンプしても届かない、鉄棒へ

支柱をよじ登り、鉄棒のてっぺんから

振り子のように揺れ、その反動で

飛び立ち着地すると言う遊びを

行なっておりました。

 

どこまで飛べるか、距離を

競うのですが、調子に乗った

私は、勢い余り、顔面から落下

腕の骨を骨折してしまいました。

 

即、病院、因みに学校の授業中

体育の時間でしたが・・・

勿論、その日は、親が迎えに来て

早退です。

 

自宅に付くと玄関に

大きな箱が、あて先は

私の名前です。

 

そうです、忘れていましたが、

見事に当選です。

 

それは、もう、大はしゃぎで

箱を開け、中の説明書を取り出し

発泡スチロールを取り出そうとするの

ですが、箱の寸法にぴったりで中々、

とれません。

 

やっとの事で発砲スチロールを

箱から抜くとコカ・コーラカラーの

真っ赤なゲーム機が、そして、

コントローラーのダイヤルは・・・

やはり、コカ・コーラの王冠でした。

 

この時は、興奮しながら

林に正夢を伝えた覚えが有ります。

 

勿論、夢と同じく、試行錯誤し

テレビに接続、林とテレビゲームで

遊んだ時の事です。

 

他にも当時、たま~に遊ぶ、

健康優良児の戸谷君と帰宅途中に

自転車に乗りながら、戸谷君は

晩御飯の話をするのですが、

「今日は、カレーライスがいいなぁ」

と言うと何故か私の家の晩御飯が

カレーライスなんです。

 

戸谷君は、4人兄弟の長男で

小さい弟妹の面倒を見る為、

一緒に遊ぶことは、

少なかったのですが

たまに遊んだ帰りや

学校からの帰り道には100%、

私の家の晩御飯を呟いてくれました。

 

だからと言って、

損も得もないのですが・・・

 

こういった不思議な事はあると、

私は子供の頃から信じておりました。

 

かと言って、当時は、そういった事に

のめり込む事は無く、

どちらかと言うとサッカー好き、

生き物好きの悪ガキでした。

 

只、小学校6年生で引っ越しをし、

中学校から別の地区の学校へ

移ってからは、あえて、

そういった話をするのは避けました。

 

小学校からの友達はいなく、新たな

友達を作るのですが、その当時の

不思議な出来事をその友達たちに

話すとかなり馬鹿にされます。

 

そう言った事もあり、それから

しばらくの間、非現実的な事に対して

避けていたという所も有ります。

 

その頃から少し、グレ始め、

やんちゃな友達が多くなりました。

 

中でも親友のミツアキとは、

色々と悪さをし、ある日の

真夜中、昨今有名になりました。

 

霊山でもある、高尾山へいたずら

目的で登山をしたのです。

 

頂上まで行き、いたずらを

行おうとしましたが、

何か・・・不気味な感じがして・・・

 

私よりも輪をかけた悪ガキの

ミツアキから「帰ろう」と

言い出したのです。

 

結果、何もせずにそれぞれの

自宅へ・・・

 

自宅へ到着後、直ぐ、寝床へ

向かい、目を閉じた、その直後、

人生初の金縛りに・・・

 

全身が動かないのです。

 

眼だけは開き、周りを見渡せます。

 

そうすると当時、私の寝床の横に

ラジカセが置いてあり、そこへ、全身

真っ白なおじいさんが座り

何かぶつぶつと唱えているのです。

 

余りの恐怖で叫び声を上げましたが、

声は出ておりません。

 

暫く、耐えておりましたが、

余りにも長く感じ、一旦、全身の力を

抜き気合もろとも「おりゃ~」と

動かすと金縛りは解け、おじいさんも

消えていました

 

その晩は、怖くて眠れず、

明るくなるまで布団の中に

潜っておりました。

 

言うまでも御座いませんが、

これ以降、無理なやんちゃは、

慎み、いずれ、社会人へと・・・

 

瞑想「・・・しなさい」、修験者へ

 

それは、まだ、国内の出張が

盛んな時、会社員として

サービスエンジニアを行っていた

頃です。

 

国内出張で1ヶ月ほど

長野県の松本市に滞在していました。

 

そのホテルは、フロント横に

無料貸し出しの本棚があり、

1ヶ月もいると漫画を除く、

全てを読み切っていたのでは

ないでしょうか。

 

当時、不動産バブルに沸いており

場合によっては、カスタマー先でも

昼食に「特上ずし」を頂けると

言うような時代・・・

 

仕事もあふれる様にあり、

その長野への出張は、一日、

ユーザー先に張りつき、

マシーンに何かあった時に、即、

対応、何もなければ何もする事が

無く、一日中、休憩室や会議室で

待機していると言うもの、

1ヶ月程の滞在で読書時間は、

溢れる程ありました。

 

ユーザーとしても、何もなければ、

うろうろされても邪魔なだけ、

おとなしく、読書をしていた方が

都合も良かったでしょう。

 

その中で気功に関する書籍を

流し読みした時の事、

小見出しの中で私が興味を持ったのが

「自分越えの瞑想」、「気で遊ぶ」と

言う、2つの小見出しです。

 

その一つ「気で遊ぶ」は、

体内の気を丹田に集めると言うもの

「自分越えの瞑想」は、呼吸法を

取り入れた瞑想法の紹介でした。

 

こちらの文章だけを見ると簡単に

行えそうと言う所も有り、

即実施を試みます。

 

その晩、ホテルの布団の中、

就寝前に行ってみたところ

体中に気が巡るのを実感でき、

気を緩めると手足がホカホカ、

この時は、体中に汗を

びっしょりとかき、真冬の

夜にもかかわらず、窓を全開にした

覚えが有ります。

 

その後、毎日のように瞑想を行って

おります。

 

風呂に入っている最中、就寝前、

寝起き直後・・・

 

その後、修験道と出会い、より深い

瞑想を行うようになりました。

 

それから数年後、バブルは弾け、

国内での仕事は激減、

海外での出張が増え、8割は、

海外での仕事になりました。

 

その後も瞑想は、継続して行っており

中南米メキシコのチワワへ1週間ほど

滞在していた時の事です。

 

 

カスタマーの都合で午後からの出勤に

なった時の事です。

 

時差ボケが、中々解消せず、

朝焼けを拝みながらホテルの部屋から

赤茶けた、一つの緑もない不毛の山に

向かい瞑想を行っていると

山のバックの青空が一面を覆い始め

その青空に飛んでいるような、

浮いている様な、漂っている様な

感覚になりました。

 

これと同じではないが、

似た経験はよくあります。

 

すると耳元で・・・夢の中とは違い、

リアルに実際の耳元で

「・・・しなさい、・・・しなさい」

と聞こえ、真っ青な空間へ衣服も顔も

真っ白で透き通るような女性が現れ、

はっきりと聞こえない「・・・」の

部分を聞き取ろうと意識を向けると

現実に引き戻され、何を「しなさい」

なのか、解らない状態でした。

 

その後、自分自身が「しなければ」

「したい」と思う事を行うように

しました。

 

修験者として

大和葛城山修験総本庁にて皆伝

会社を設立、法人成り、売上は

15000万円を超え、順調に進んで

おりましたが、

「・・・しなさい、・・・しなさい」

声が腑に落ちる事は

有りませんでした。

 

 

そのまま、数年が経ち、世界的な

金融危機、リーマンショックが訪れ、

エンジニア業務の売り上げは、

激減、会社自体の縮小を行いながら、

新たな道を模索、こちらも縁があり、

神事に係わる仕事を行う事になり、

再び、大和葛城山修験総本庁にて

修業、その修業中の事ですが

毎日瞑想を行う中である時、

あの女性が現れ、今度は、

微笑むんです。

 

今回は何も助言なく・・・、しかし、

私は思いました。

 

「これだったのか」とその後、

神事に係わるには、法人と言うのは

重荷になり、また、サービス業で

取引先とトラブルになり、

法廷論争へそれぞれの

タイミングにより会社を休眠させて

おります。

 

現在、笑楽として、

いずれの宗派にも属さず、

神仏習合観念とし、

修験者の道を歩んでおります。